羽生雅の『ホツマツタヱ』考~~神社と神代史の謎解き

『ホツマツタヱ』から明らかにする記紀と神社、歴史の真実

第一章 3、「キミ」とは――雛祭りの起源

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第一章 琵琶湖畔と富士山麓にあった最初の都
 
 
 
3、「キミ」とは――雛祭りの起源
 
 
 
 トヨクンヌに続くヨツギノヲカミ〔世継ぎの男神〕はウビチニである。
 
 『ホツマ』における世継ぎに関しての記述は、二代目は「世継ぎの神は国狭立」、三代目は「八方の世継ぎはトヨクンヌ」だが、四代目のウビチニについては「世継ぎの男神」とあり、わざわざ「男神」という断りが入っている。これは、四代目は世継ぎの“女神”もいたからだろう――その名をスビチという。
 
 八方主が治めた八つの国には各国に国神であるトヨクンヌがいたが、国常立の嫡流である天神となったのは、『紀』でまたの名として紹介されているトヨクンヌではなく、本文内に書かれているトヨクンヌ――「豊斟渟」ことホのトヨクンヌと、『紀』の一書(神代七代の第一)および『旧』の神代系図に登場する「豊国主」ことトのトヨクンヌのようである。三代まで独り神だった天神がここに至って男女の二人となるのは、ホの豊斟渟の血筋とトの豊国主の血筋が婚姻関係を結んで天神の跡を継いだからではないかと思う。その理由については、あとで詳しく説明したい。
 
 『ホツマ』によれば、ウビチニとスビチは「コシクニノ ヒナルノタケノ カンミヤ〔越国のひなるの岳の神宮〕」に木の実を持って生まれた。そして、その実を庭に植えておいたら、「ミトセノチ ヤヨイノミカ〔三年のち弥生の三日〕」に「ハナモミモ モモナル」とのことだ。モモナルの「モモ」は、漢字で表せば「百」であり、これは百という数字の他に“数が多い”ことを意味するので、三年後の三月三日にハナ=花もミ=実もたくさん成ったということである。ゆえに、はじめウビチニの名を「モモヒナギ」、スビチの名を「モモヒナミ」といった。また、実を植えてから三年で花と実を“百”成らせたこの木を「モモ」と名付けた。モモ=桃であり、「桃栗三年」といわれる由縁である。
 
 よって、モモヒナギとモモヒナミの「モモ」は「百」であり「桃」であるが、「ヒナ」とはヒ=一からナ=七のことで、これは一=ヒから十=ト――すなわち「ヒト」に到る前の状態を表し、人に成る前=成人前=未成年という意味である。これが転じて、後世には幼子を表す「雛」となった。雛=ヒナ=一七である。「ギ(キ)」と「ミ」は二人が“木”の“実”を持って生まれたという逸話に基づいた名乗りで、男性には「キ〔木〕」、女性には「ミ〔実〕」が付けられた。ゆえに二人の名を漢字で表せば、モモヒナギの「モモ」は「桃」、「ヒナ」は「雛」、「ギ」は「木」で「桃雛木」、モモヒナミはモモ=桃、ヒナ=雛、ミ=実で「桃雛実」となる。
 
 それから数年が経ち、ヒナだった桃雛木と桃雛実がヒトとなる(=成人する)と、弥生の三日に、二人は契りを交わすことになった。
 
 この夜、世にはじめて造られた酒が二人に奉られた。それを「モモトニクメル〔桃下に酌める〕」――つまり桃の下にて酌むと、水面に月が映っていたので、その光景にそそられて、まず桃雛実が先に飲み、続いて桃雛木が飲んだ。
 
 この新しい飲み物は、最初に桃雛木と桃雛実が飲んだので、二人の名の「木」と「実」をとって「ミキ」と呼ばれた。実木=ミキ=神酒である。「ミ」が先なのは、先に飲んだのが桃雛実だったからだろう。また、このとき使われた器は、酒を酌むと“月”を“逆”さに映したので、「サカツキ」と名付けられた。つまり、逆月=サカツキ=盃である。
 
 飲むと体が熱くなり、気分も陽気になってきて、心身の緊張を和らげてくれるこの飲み物を気に入った桃雛木は、これを造ったイノクチのスクナミカミに、新たに「ササナミ」という神名を賜った。ササナミの「ナミ」は元々の名であるスクナミのナミで、「ササ」とは酒のことである。ササ=笹は昔から酒の別称とされているが、おそらく最初に造られた酒が竹株で醸造されたことに由来しているのだろう。『ホツマ』によれば、酒はスクナミカミが竹株に雀が籾を入れるのを見て籾を発酵させて造ったもの――とのことだ。
 
 神酒を飲んで酔っぱらったおかげで、互いに対する緊張感も薄れて、次第に打ち解けた桃雛木と桃雛実は、ササケ〔酒気〕のせいで体も十分に熱を帯びて気分も高揚していたので、いよいよ床入りをして契りを交わすことにした。そもそも酒は、成人したばかりでまだ異性との関係に疎く、緊張して身を硬くしている若い二人をリラックスさせるために勧められたもののようである。このリラックス法を『ミカサ』では「トコミキノノリ」と呼んでいる。「“トコミキ”ノノリ」を漢字で表せば「“床神酒”の法」――すなわち、これが婚礼の際に盃を交わす「床神酒」の起源であり、この習慣が現代にも三三九度という形で残っているのである。何故三三九度かといえば、このとき桃雛木と桃雛実に酒を酌んだクミト〔酌人〕が九人いて、新郎新婦が九度酒を飲み合ったからだろう。
 
 三日後の朝、三晩続けて交わった二人は、体が熱かったので、サムカワ〔寒川〕にて水を浴びた。すると、「ソデヒチテ ウスノニココロ マタキ」となった――とのことである。「ソデヒチテ」は、漢字で表せば「袖漬ちて」、「ウス」はウ=大、ス=小なので“大小”の意味、「ニココロ」は「瓊心」と考えると、袖が濡れて、多く濡れたほうと少なく濡れたほうの二つの君の心は「マタキ」――すなわち「全き」になったということなので、おそらく欠けるところのない完全なものになった、というような文意だろう。それゆえ、ヒナでなくなったあとは、ウホソデ〔大袖〕を濡らした男の桃雛木を「ウビチニ」、コソテ〔小袖〕を濡らした女の桃雛実を「スビチ」といった。
 
 ウビチニとスビチは、『記』では「宇比地邇神」と「須比智邇神」、『紀』や『旧』では「泥土煮尊」と「沙土煮尊」の表記で登場するが、ウビチニの「ウ」はウ=大で“大きい”の意味、スビチの「ス」はス=小で“小さい”の意味、「ビチ」は“濡れる”と同意である古語の「漬つ」の活用形である。そして、「ニ」には「煮」よりも『日本書紀私記』や『春喩日本書紀私見聞』で使われている「瓊」をあてるほうが意味合い的に正しいと思うので、漢字で表せばウビチニ=大漬瓊、スビチ=小漬とするのが妥当だろう。ちなみに、大漬瓊の「瓊」とは玉のことである。瓊=玉=王=君なので、ニココロ=瓊心とは“君の心”である。
 
 かくして、桃雛木こと大漬瓊と桃雛実こと小漬は、男と女のどちらもが欠けたところのない全きものである、いわば完成された男女関係――夫婦となった。これがわが国における結婚の起源である。つまり大漬瓊と小漬は、ギリシャ神話でいうところのゼウスとヘラのようなものだ。ヘラが結婚の女神とされるのは、男女が対等の立場にある正式な婚姻関係を結んでゼウスの妻となった唯一の女性だからである。
 
 ということで、夫婦の男女は共に全きものであり、二人は対等な存在なので、政も男性であるキ〔木〕と女性であるミ〔実〕が一緒に治めるようになった。ゆえに為政者のことを「君」というのである。つまり君=キミ=木実であり、“木”と“実”だから「君」なのだ。『ホツマ』では天日神(天神)を「アマツキミ〔天つ君〕」、略して「アマキミ〔天君〕」と称することもあるが、こちらは天神が独りではなく、男女二人の「君」となったことによって生じた呼称であろう。
 
 また、君が妻を定めたことによって、それに倣って、臣も民もみな妻を定めるようになった。これは、妻と妾を分けたり、妻の中でも正妻を決めたりする婚姻制度が誕生したということだろう。おそらくそれ以前は血脈の存続や、より優秀な種の保存を最大目的とする動物的本能が主導の、なかば無差別に近かった男女の関係が秩序化されたということではなかろうか。そして以後、天神が「天君」と称されるようになったのと同様に、地方を治める国神も「クニキミ」――すなわち漢字で表せば「国君」と称されるようになったのである。
 
 このように、四代天君の結婚は、人間社会に婚姻制度が生まれ、夫婦の対等な権利が確立した歴史的大事件だった。これを起源とする祭りが一年を代表する年中行事として現代に至るまで伝えられて、今なお盛大に続いていることを思えば、その重大性がわかるというものである。よほど画期的なことだったのだろう。
 
 いうまでもなく、“弥生三日”に“桃”の下で行われた“雛”たちの結婚――本邦初の結婚式が、“桃”の節句――すなわち“雛”祭りの起源である。三月三日に桃の花と男女の雛人形を飾るのは、この結婚式を再現しているのであり、男雛は桃雛木を、女雛は桃雛実を表しているのだ。つまり、雛の祭りとは、雛の結婚式のことなのである。
 
 そして、これをもって女子のお祝いごととするのは、桃雛実が世継ぎである桃雛木の嫡妻――公にも認められた対等の立場の伴侶となり、桃雛木と同位の者として、女性初の天神となった出世にあやかってのことなのだろう。その後、たとえどれほど男尊女卑の時代にあっても、雛祭りを廃れさせないことで、女たちは妻と夫は並び立つ存在であり、同等であることを訴えつづけたのではないだろうか。いうなれば、雛祭りとは、ともすれば男性より地位が低く見られてきた女性の本来の立場を忘れないための、桃雛実が四代天君・小漬となって以降、妻に約束された夫と対等の権利を主張するための行事だったのかもしれない。
 
(2018/3/5最終更新)