第一章 4、神代の八方と、古代の五畿七道と、現代の地方の関係
第一章 琵琶湖畔と富士山麓にあった最初の都
4、神代の八方と、古代の五畿七道と、現代の地方の関係
大漬瓊・小漬に続くヰツヨノカミ〔五代の神〕は、ツノグヰとイククイの夫婦である。ツノグヰは『記』では「角杙神」、『紀』と『旧』では「角樴尊」、イククイは『記』では「活杙神」、『紀』と『旧』では「活樴尊」と表されているので、以後ツノグヰ=角杙、イククイ=活杙とする。また、角杙はオオトノ〔大殿〕に居て、そのトマエ〔戸前〕で活杙と出会って彼女を妻としたので、角杙を「オオトノチ」、活杙を「オオトマエ」ともいう。オオトノチは『記』では「意富斗能地神」、『紀』と『旧』では「大戸之道尊」、オオトマエは『記』では「大斗乃弁神」、『紀』と『旧』では「大苫辺尊」の表記で登場するが、角杙は“大殿”の“内”側にいたのだからオオトノチ=大殿内、活杙は“大”殿の“戸前”にいたのだからオオトマエ=大戸前とするのが妥当だろう。『ホツマ』によれば、これが後世、男を「殿」、女を「前」と呼ぶ理由とのことである。ならば、おそらく巴御前や常盤御前などに見られる「御“前" 」という貴人(=殿)の妻妾に対する敬称も、これが起源と思われる。
角杙・活杙の次のムヨ〔六代〕の天君は、オモタルとカシコネの夫婦である。オモタルは『記』では「於母陀流神」、『紀』と『旧』では「面足尊」、カシコネは『記』では「阿夜訶志古泥神」、『紀』と『旧』では「惶根尊」と表されているが、本編ではオモタル=面足、カシコネ=惶根としておく。
以上、初代から六代までの天神および天君をまとめると、次のようになる。
四代天君――大漬瓊〈『旧・紀』泥土煮尊『記』宇比地邇神〉=桃雛木
小漬〈『旧・紀』沙土煮尊『記』須比智邇神〉=桃雛実
五代天君――角杙〈『旧・紀』角樴尊『記』角杙神〉
=大殿内〈『旧・紀』大戸之道尊『記』意富斗能地神〉
活杙〈『旧・紀』活樴尊『記』活杙神〉
=大戸前〈『旧・紀』大苫辺尊『記』大斗乃弁神〉
六代天君――面足〈『旧・紀』面足尊『記』於母陀流神〉
惶根〈『旧・紀』惶根尊『記』阿夜訶志古泥神〉
面足と惶根の夫妻は「ヤモオメクリテ タミオタ〔八方を巡りて民を治〕」し、その統治はヲウミアツミ〔淡海安曇〕を中心に、東はヤマト、ヒタカミ〔日高見〕、西はツキスミ〔月隅〕、アシハラ〔葦原〕、南はアワ〔阿波〕・ソサ〔素佐〕、北はネノヤマト、ホソホコ〔細矛〕・チタル〔千足〕まで及んだ。現在の地名でいうと、「淡海」は琵琶湖のことなので、中央の「淡海安曇」は琵琶湖北西の“安曇”川流域を中心とした近江国――滋賀県であり、東の「日高見」は東北地方、「ヤマト」は日高見と淡海安曇のあいだで、主として関東・中部地方である。
同じヤマトでも、日本海側は「ネノヤマト」と呼んで区別され、方角としては東ではなく北になる。そもそも「ヤマト」とは「ヤマノモト」――すなわち“山の本(麓)”という意味なので、本州の中央を走る山地の裾に広がる低地のことだ。よって、山本の太平洋側がヤマトで、日本海側がネノヤマトというわけである。キツヲサネのところでも触れたように、「ネ」とは北のことなので、「ネノヤマト」とはずばり「北のヤマト」ということだ。つまり、『日本書紀』で素戔嗚尊が行ったとされる「“根”の国」、『古事記』で須佐之男命が行ったとされる「“根”の堅州国」は、地底の国や冥界ではなく、単に北の国ということである。
西の「月隅」は筑紫のことで九州、「葦原」は滋賀県を除く近畿・山陽地方、南の「阿波」は四国、「素佐」は紀伊半島南部である。北の「細矛」と「千足」は山陰地方で、特に細矛=ホソホコとは読んで字のとおり“細い矛”のことなので、形が似ている島根半島をさすと思われる。『ホツマ』では「ホソホコ」よりも「サホコ」と呼ばれることが多い。ちょうど八つに分かれているので、これが八方主が治めた八方――トホカミヱヒタメの各国の区分であろう。
[方角] [神代の八方] [古代の五畿七道] [現代の地方]
西―――④月隅→→→→→西海道→→→→→→→→九州
⑧細矛・千足→→山陰道→→→→→→→→山陰
(2018/3/5最終更新)