羽生雅の『ホツマツタヱ』考~~神社と神代史の謎解き

『ホツマツタヱ』から明らかにする記紀と神社、歴史の真実

第一章 14、消えた酒の神――少名御神のゆくえ

スマートフォンでは横画面で読むことをお勧めします。文中に挿図がある場合は、スマホの横画面に合わせてありますので(極力)、PC画面ではずれて表示されます。
 
第一章 琵琶湖畔と富士山麓にあった最初の都
 
 
 
14、消えた酒の神――少名御神のゆくえ
 
 
 
 大漬瓊と小漬に関係する神で、スクナミカミという神がいる。本邦で最初に酒を生み出し、その功績を讃えられて大漬瓊から「ササナミ」という神名まで賜った神だが、これがまったくもって知られていない。けれども、記紀の意外なところに登場し、確かに酒の神として崇められていたことが判る。四代天君である大漬瓊・小漬夫妻から二十二代後の十四代仲哀天皇の后――神功皇后の歌に詠まれているのだ。
 
 スクナミカミは、『記』では「少名御神」、『紀』では「周玖那彌伽未」と表され、いずれにおいても「クシノカミ」とされている。そして『記』では、クシノカミの「クシ」に「酒」の漢字があてられている。そもそも「クシ」とは薬のことである。とはいえ、酒は百薬の長ともいわれるように薬でもあったので、酒の神=薬の神として両方の面から信奉されたのだろう。
 
 しかし長い年月の中で、酒薬の神スクナミカミ=少名御神は消えた。どうもあとから現れたスクナビコナノカミ=少彦名神と名が似ているために混同されて、そちらに取り込まれてしまったようである。
 
 少彦名神は、出雲を治めていたオホナムチの国づくりに協力した神だ。つまり国土開拓神である。その少彦名神が現在医薬の神とされているのは、酒と薬の神である少名御神と同一化され、その神性を吸収したからだろう。ちなみに、オホナムチは八代天君の弟の子なので、少名御神と少名彦神のあいだには五世代前後の開きがある。
 
 ところで、織田信長の城があったことで有名な安土(現・滋賀県近江八幡市安土町)に【沙沙貴神社】(近江国蒲生郡/式内小社)という古社がある。祭神は「佐々木大明神」と総称される四座五柱で、第二座に古代豪族の“沙沙貴”山君〈『記』佐々紀山君『紀』狭狭城山君〉の祖神である《大彦命》、第三座にササキにゆかりのあるオオ“サザキ”ノミコト=大鷦鷯尊こと《仁徳天皇》、第四座に“佐々木”源氏の祖である《敦実親王》と、その父親である《宇多天皇》が一緒に祀られている。
 
 そして、佐々木姓発祥の地に鎮座し、全国佐々木氏の総鎮守とされる当社の第一座の祭神が、実は《少彦名命》である。境内には「少彦名神の磐境」と呼ばれる巨石があり、由緒によれば、社名の「沙沙貴」は少彦名に起因し、沙沙貴=ササキは「酒器」、あるいは「篠笥」=ササケとも表されたとのことだ。つまり、沙沙貴=酒器=篠笥=ササケなのである。
 
 よって、沙沙貴神とはササケ神――つまり少名御神のことで、当社は元々は酒の神である少名御神を祀っていたのではないかと思う。ササキは少彦名ではなく少名御に起因するもので、少名御の神名である“ササ”ナミからきているのではなかろうか。
 
 『ホツマ』によれば、ササナミという神名を賜ったことで、少名御神がいる山は「“ササケ”ヤマ」と呼ばれるようになったそうである。磐境や磐座は、社を建てて神を祀る文化が始まる前――原始的な古代祭祀が行われていた頃の神の鎮座地であるが、その磐境が存在するということは、神社文化が始まる以前から、この地には「ササキ神」と呼ばれる神が祀られていたということに他ならない。そして、主祭神とされている《少彦名命》は当地の産土神とのことなので、少彦名と混同され同一化されてしまった少名御ことササナミ――「ササキ神」は、余所から勧請された神ではなく、この土地に坐す神ということになる。ならば、少名御がいたササケ山とは、ササケ=酒気=酒器=篠笥=沙沙貴=佐々木で、古名は「ササキ山」だったと思われる観音寺山のことではないだろうか。
 
 宇多源氏佐々木氏の流れをくむ一族で、信長に滅ぼされた六角氏の観音寺城が築かれたことで知られる観音寺山には、聖徳太子の開基と伝わる西国三十三箇所第三十二番札所の観音正寺がある。当寺の山号が「繖山」なので、観音寺山自体が繖山とも呼ばれるが、繖山とは本来観音寺山、瓜生山、猪子山などの峰から成る山系全体をさす。現代において定着している「観音寺山」という名も観音正寺に由来するものであり、したがって当然のことながら寺が建てられてからの名称である。おそらくそれ以前は「ササキ山」といい、明らかに古代の聖跡と考えられる巨石群が多く存在しているので、神が坐す山――神奈備山だったことが判る。その巨石群は今でも残っており、現在はそのままの形で観音正寺奥の院とされている。思うに、観音正寺が創建されたのは、この山がそれ以前からササナミ神=ササケ神=ササキ神にゆかりの聖なる山として人々の信仰の対象だったからではないだろうか。
 
 ともあれ、大漬瓊と小漬の結婚式に列席したササナミが近江の神と思われることは、近江国の前身である淡海安曇が四代天君にゆかりの深い国であったことの傍証の一つといってよいだろう。
 
(2018/3/6最終更新)