羽生雅の『ホツマツタヱ』考~~神社と神代史の謎解き

『ホツマツタヱ』から明らかにする記紀と神社、歴史の真実

第一章 8、「高天原」の場所

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第一章 琵琶湖畔と富士山麓にあった最初の都
 
 
 
8、「高天原」の場所
 
 
 
 そして、天孫降臨が史実を基にしている以上、記紀で天照の孫――瓊瓊杵が後にしてきたとされる「高天原」は、もちろん天上ではなく、地上に存在した。天つ神たちは人間なのだから当然である。
 
 高天原は『ホツマ』では「タカマ」と呼ばれるが、「タカマニハカリ〔高天原に諮り〕」とか「タカマニハ カミハカリシテ〔高天原には神諮りして〕」という表現が頻繁に出てくる。神諮り――つまり“神々が諮る”場所なのだから、高天原とは地名ではなく、天つ神たちの政治の中心地――いわゆる朝廷のことなのだろう。すなわち、“高天原から降臨した”ということは、“朝廷から遣わされた”ということを意味するのである。
 
 高皇産霊のところでも少し触れたが、『ホツマ』によれば、タカマ=高天原は日高見の葉木国の神が御中主を祀ったことに始まる。よって、最初は宮中の賢所のようなものだったが、そこに神々が集って政を行うようになり、議定による政治体制が確立すると、朝廷としての性格を持つようになったのではないだろうか。
 
 以上の結論をふまえていえば、高天原の場所というのは一か所に特定できないというのが正しい。代々の天君が遷都すれば必然的に移ることになり、その結果あちこちに存在することになったからだ。ゆえに、東北説、近畿説、九州説――高天原が存在した時代が異なるだけで、いずれも間違いではないのである。
 
(2018/3/5最終更新)