羽生雅の『ホツマツタヱ』考~~神社と神代史の謎解き

『ホツマツタヱ』から明らかにする記紀と神社、歴史の真実

第一章 1、祓の祝詞「トホカミヱミタメ」の意味

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第一章 琵琶湖畔と富士山麓にあった最初の都
 
 
 
1、祓の祝詞「トホカミヱヒタメ」の意味
 
 
 
ホツマツタヱ』(以下『ホツマ』と略す)によると、アメミオヤ〔天御祖〕による天地創造後、、カゼ〔風〕、ホ〔火〕、ミヅ〔水〕、ハニ〔埴〕(土)が交わって、ヒト〔人〕が生まれた。これが最初の人であり、ミナカヌシという。またはアメナカヌシともいい、『古事記』(以下『記』と略す)の冒頭――「天地の初めて発けし時、高天原に成りし神の名」として出てくる「天之御中主神」のことだ。『日本書紀』(以下『紀』と略す)の一書(神代七代の第四)や『先代旧事本紀』(以下『旧』と略す)の神代系図には「天御中主尊」の表記で登場する。よって漢字で表せば、ミナカヌシ=御中主、アメナカヌシ=天中主である。
 
 御中主はヤモヨロクニ〔八方万国〕にヨロコ〔万子〕を生むと、皆を配り置いた。そして、『ホツマ』と同じヲシテ文字で書かれた史料である『ミカサフミ』(以下『ミカサ』と略す)によれば、ヱ、ヒ、タ、メ、ト、ホ、カ、ミという兄弟のうち、ヱミコ〔兄御子〕であるヱの尊が世継ぎとなってヲウミ〔淡海〕(現・琵琶湖)を治め、そののちオトミコ〔弟御子〕でトシタミヤ〔ト下宮〕に住んでいたトノミコト〔トの尊〕が兄の後を受けて世継ぎとなった――とのことである。ゆえに兄を「ヱ」、弟を「ト」という。つまり、兄弟のことを「ヱト〔干支〕」というのは、相次いで世を治めたこの二人に由来するのである。
 
 トの尊が居たというト下宮については、『ミカサ』に「ヲヲヒヤマサノ トシタミヤ」と書かれ、「ヲヲヒヤマ」を漢字で表せば「大日山」であり、のちほど説明するが、これは富士山のことである。また、これもあとで説明するが、「サ」とは南のことなので、「ヲヲヒヤマサノ トシタミヤ」を漢字で表せば「大日山南のト下宮」となり、つまりこの宮は富士山の南に存在したことが判る。よって、ヱの尊は淡海の湖畔にあって世を治めたが、トの尊は富士山の麓にあって世を治めたということだろう。トの尊が世継ぎとなって治めた国をトシタクニ〔ト下国〕という。
 
 ヱ、ヒ、タ、メ、ト、ホ、カ、ミの八人は、のちに季節や方角を司るヤモトカミ〔八元神〕に神格化され、御中主とともに神として祀られることになった。御中主と八元神の九柱を合わせてアメトコタチノカミという。『記』では「天之常立神」、『紀』の一書(神代七代の第六)や『旧』では「天常立尊」の表記で登場する。よって漢字で表せば、アメトコタチノカミ=天常立之神である。なお『ミカサ』によれば、八元神のそれぞれが司る方角と季節は次のとおりである。
 
  ヱ元神【北】―――シモツキナカ〔霜月中〕~…………11月中から12月晦
  ヒ元神【南西】――ハツヒ〔初日〕~……………………1月朔から2月中
  タ元神【東】―――キサラキノナカ〔如月の中〕~……2月中から3月晦
  メ元神【北西】――ウツキ〔卯月〕~……………………4月朔から5月中
  ト元神【南】―――サツキナカ〔皐月中〕~……………5月中から6月晦
  ホ元神【北東】――フミ〔文〕~…………………………7月朔から8月中
  カ元神【西】―――ホツキナカ〔葉月中〕~……………8月中から9月晦
  ミ元神【南東】――カミナツキ〔神無月〕~……………10月朔から11月中
 
 ということで、この八元神の名が、古神道祝詞に出てくる「トホカミヱミタメ」の語源である。兄弟の順であるヱヒタメトホカミではなく、トホカミヱヒタメの順で唱えるのは、『ミカサ』によれば、人草を潤し繁栄させる夏を司るト元神を重視し、祝詞はトが先と定められたから――とのことだ。
 
 祝詞の「トホカミヱミタメ」は従来「遠神笑賜」、あるいは「吐普加身依身多女」などの漢字があてられて、その意味は「遠つ神よ、笑みたまえ」などと解釈されてきたが、「ヱ“ミ”タメ」とは「ヱ“ヒ”タメ」が訛った形であり、よってこの八文字に文としての意味はなく、単純に八元神の名を連ねているというのが正しい。つまり三種の祓の祝詞、または三種大祓の祝詞と呼ばれる「“トホカミヱミタメ” 祓ひたまひ清めたまへ」というのは、八方の神に呼びかけて、いずれの方角も悪い方角にならないように、お願いをしている詞なのである。
 
 さらに『ミカサ』には、「クニミコト ヨタヒカワリテ〔国尊、四度代わりて〕」とあるので、御中主の次に世を継いだヱ、ヒ、タ、メ、ト、ホ、カ、ミの八人に続いて、ソヒノキミ〔十一の君〕と呼ばれる十一人――キ、ツ、ヲ、サ、ネの五人と、ア、ミ、ヤ、シ、ナ、ウの六人が世を継いだと思われる。①御中主、②ヱヒタメトホカミの八人、③キツヲサネの五人、④アミヤシナウの六人で「四度」である。
 
 先だって「サ」は南のことだと書いたが、『ホツマ』や『ミカサ』では、キツヲサネの「キ」は東、「ツ」は西、「ヲ」は中央、「サ」は南、「ネ」は北とされている。おそらく、東を治めたのがキであり、西を治めたのがツ、中央を治めたのがヲ、南を治めたのがサ、北を治めたのがネだったからだろう。
 
 キツヲサネとアミヤシナウの十一人ものちに神格化されて、ヰクラムワタ〔五臓六腑〕を司り、ハラワタ〔腸〕、イノチ〔命〕、ミケ〔御食〕を守る神となり、総じてウマシアシカイヒコチカミと呼ばれた。『記』では「宇摩志阿斯訶備比古遅神」、『紀』の一書(神代七代の第二・第三・第六)や『旧』では「可美葦牙彦舅尊」の表記で登場する神のことである。
 
(2018/3/5最終更新)